体験だけがある…、のように表現するようになって、早2年が過ぎ去りました。つまり、非二元の話をするようになって、3年目に突入したことになります。
体験だけがあるということは、その体験の主体も客体もないということです。これは、途方もないことを意味します。
なぜなら、私たちは常に主体と客体のペアの存在によって、この世界が成り立っていると信じているからです。
そして常識的には、私たちのすべての体験は体験者の脳の中で作られるのだと考えられています。
見えている景色も、聞こえている音も、身体の感触も、体験の全ては体験者の脳の主観的な体験だとされているのです。
それをクオリアと呼ぶのですが、どのようにして脳がクオリアを生み出すのかは全く解明されていません。
このことは、意識のハード・プロブレムと呼ばれるようになりました。なんとかしてこの問題を解決しようとして挑戦し続けている科学者は、さまざまな仮説を作り出しています。
けれども、彼らの誰もが空間と物質が存在するという前提を疑わないのです。物理学の天才たちにとって、そこは砦のようなものなのですかね。
この先、AIの進化が我々の予想を大きく上回るとしても、AIがクオリアを生み出すことはできないはずです。
つまり、AIが人間を超えたとしても、体験を作り出すことは不可能だということです。元々、人間の脳がクオリアを生み出すという前提が間違っていたわけですね。
そして、その先は誰もがこの二元の世界がホンモノではなかったということに気づくことになるのかもしれません。

