褒められたい思いとは

人を褒める言葉というのにも、いろいろありますね。たとえば、すごいね~とか、偉いね~、ちゃんとしてるね~、頑張ったね~等々。

そして褒められたら、誰もがよほどひねくれていない限りは、悪い気はしないものです。褒められて伸びるタイプだと自分のことを表現する人もいますね。

子供を育てるときには、褒めることも必要だと言うことを力説する人もいます。分からないでもないのですが、私は何となく胡散臭い感じがどうしてもするのです。

もっと親に褒めてもらいたかったと思っている人もいるでしょうね。その気持ちはとてもよく分かるのです。けれども、本当は褒めて欲しいのではないと言ったらどうでしょうか?

褒めて欲しいという気持ちは一体どこからくるのかを見てみると、それは在るがままの自分ではダメなのかもしれないという自己否定感が元にあるということです。

自分のままでOKだと分かっている子は、取り立てて褒めて欲しいと思う必要を感じないはずだからです。つまり、自分の存在価値にしっかり気づいていないからこそ、その代わりとなるものを探すのです。

それが褒めてもらうということだったわけです。褒める対象というのは、存在ではなくて何かの成果だったり結果だったりするのですから、褒めてもらいたい子供はそれだけ頑張るようになるのです。

そこには必ず自分でも気づけないような自己犠牲が必ず存在するのです。でも、褒めてもらえるというご褒美をもらえることで、その自己犠牲をすっかり抑圧することができるのです。

そうなると、その子の生き方は決まってしまいます。つまり、他人からの評価を最大限にするように気を配って生きるということです。独自の意見をもったりせず、誰からも否定されないような人生を生きるようになってしまうのです。

もしもあなたが、誰かに褒めてもらいたいと思っているのなら、それは存在価値の代わりには決してならないということに気づき、自分を徹底的に受け止めるということを実践することです。

方法が分からなければ、セラピストなどの専門家に相談することも考えてみることです。