不完全さの魅力

先日の朝、いつものようにクルマで出かけようとしたら、どうも我が愛車の調子が何か変なのです。よく見ると、ギアがローに入らずに、いきなりセカンドからスタートしていたのです。

びっくりして、すぐに停車してエンジンをかけなおしたりしたのですが、一向に状況に変化はなく、仕方なく恐る恐る走ってみると、どうやらシフトアップはするようなのです。

つまり、発進するときだけ、ちょっと非力になる程度で、あとは普通に運転できることがわかったのです。けれど、このままだと何が起こるか分からないと思い、結局最寄りのディーラーに持っていくことにしました。

そんなわけで今は、愛車が修理から戻って来るまでの間、家のクルマを使って通勤しているのです。家のクルマというのは、ごく一般的なセダンの国産車なのですが、これがまたとてつもなく楽なのです。

運転をしていて、このままだと眠ってしまうんじゃないかと思うくらいに、何にもしなくてもいいような気がするくらいに楽なのです。それは勿論私のクルマとの比較でそう感じるのですが…。

自分のクルマは、その反対に(クラッチはないのですが)マニュアル車のようにギアをシフトしなければ、スムーズな気持ちのいい走りができないという代物なのです。

それ以外にも、いろいろドライバーに注文を付けるクルマなので、ボーっとして運転してると結構まずいことになったりもする、実は面倒な奴なのです。

けれども、「fun to drive」 という点で言うと、とにかく面白いのです。自分が彼を手なずけて、上手に操作している感が楽しいということなのでしょうね。

人間とは本当に贅沢なものです。あまりに便利過ぎると、ちょっと厄介なものを求めてしまう節があるということです。このことは、どんなものにでも言えるのかもしれません。

あまりに均整のとれた完璧なスタイルの女性よりも、ちょっと人間的な匂いのするスタイルの人のほうが親しみが湧くし、従順過ぎる女性よりも、少しは意地っ張りなところのある女性を男は好むのかもしれません。

人は完璧なものを求めているようでいて、実はそうではないということです。不完全なものにこそ、最大限の愛を感じるのです。

自分自身の不完全さにも、それを丸ごと受け止めることができると、本当に清々しい開放的な生き方ができるようになるはずですね。