憎々しい「私感覚」

いや~何というのか、本当にしつこい私の中にある「私感覚」。あの時のあの体験は一体何だったのかと思わせるほど、しっかりくっついて健在そのものですね。

それは、衰えることなく常に私に影のようにへばりついて、いつどんなときでも消えることがありません。いたって、丈夫で長持ちでうっとうしいのです。

この「私感覚」は、私の人生のすべてを貫き通し続けるのです。私の身体、私の思考、私の体験、私の記憶、私の○○と何から何まで私尽くしで、辟易してしまいますよ。

どこかに、この「私感覚」を落とすことができる便利なツールはないものでしょうか?唯一これを感じていないときには、大抵が外側に注意が向いているときだけで、それが済むとあっという間に復帰する憎々しさ。

瞑想してもしても、ジィ~ッとことの顛末を伺って、この瞑想うまくいってるじゃないの的な面持ちで見ているんです。そして、悲しいことに、このブログを書いているのは、「わ・た・し!」と言ってにんまりしているのです。

今この瞬間も、「私」は思考なんかじゃないよと、開き直っているではないですか。でも、知ってるもんね、思考が固い固い信念になったときには、もう思考とは思えなくなるということを…。

こうなったら、一日中「私」「私」「私」とずっと唱え続けてやろうかと思ったりもするのです。「私感覚」を徹底的に全面に押し出してみてやったらどうだろうという発想ですね。

あるいは、真逆にただ身体がある、ただ思考がある、ただ体験がある、ただ記憶がある、のように「私」という枕詞を全滅させてみるというのもいいかもしれません。

ちょっと妙な感覚になってきたので、今日はこれで終わりにします!

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