感じよくしようとするマインド

学生のときに、一人暮らしをしていたことがあったのですが、きっと時間はあるけどお金がないという環境のせいなのか、アパートの殺風景な部屋の中で、時々いろいろなことを考えていたのです。

その一つに、人と接するときに感じのいい人として振る舞うことに、どれほどの価値があるのかということを考えていたことがありました。

結局、自分が感じのいい人と思われようが、感じが悪い人だと思われようが、どちらにしても大したことではないということに気づいたのです。

単に、肯定的に思われた方が一過性の安心を得ることができるだけだと…。それは、誰かにとってトマトが好きか嫌いかという程度のことだと分かったのです。

それからというもの、他人にどう映ったかは別として、自分の意識の上では殊更に感じよく接するという努力を放棄してしまいました。

でもこれが意外に難しいのです。しばらくして気が付くと、また放棄したはずの気の使い方が戻ってきたりするのですね。とはいうものの、そのことに意識をむけて気づいていられるようになったことは大きかったかもしれません。

そうして自分の行いに注意深くいれば、過度になることは決してありません。その前に気づいて、適宜加減する余裕ができるようになるわけですね。

必要以上に感じよくしようとしてしまうマインドを見張っていることは、大切なことですね。毎日を爽快に過ごすためには、是非とも必要なことです。

そしてその先もありますよ。それは、そうした自分を丸ごと放っておくというやり方です。愛を持って放っておかれた自分というのは、私の経験上あまり変な方向には行かないようです。

よかったら、是非試してみてくださいね!

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