「誰かの…」をやめてみる

今日もシンプルに…

自分がいないということは起きる可能性があるけれど

それを体験することはできません

なぜなら、体験するナニモノもいないからです

ただそれについての気づきがあるだけです

なぜこのことが理解しづらいかというと

私たちは常に、「誰かの…」を意識するからです

ならば、「誰かの…」をやめてみませんか?

きっと、物凄くすべてがシンプルになるはずです

以上

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です