生を全的に生きるには

私たちの内面は、大なり小なり分裂しています。なぜなら、幼い頃からずっとお前のままではダメなんだと教えられて育ってきたからです。

本当はこうしたいけれど、それではいけないと言われ、幼い子は渋々従うしかないのです。それが、分裂を生むことになるというわけです。

その分裂した内面こそがマインドであり、それが人格を作っていくのです。もしもあなたの内側にまったく分裂がなければ、あなたという人格は存在しないはずです。

覚醒した存在とは、そうした分裂が消えてしまった状態を指すのです。つまり、分裂によって出来上がったマインド(エゴ)が落ちた状態です。

だからその存在には人格もありません。内側が全一になっているのです。表と裏がないということです。その時に、初めて全的に生を生きることができるのですね。

私たちの人格とは、そういう意味では常に生の一部だけを生きているということです。なんだか勿体ない話しですが…。

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