人は何かを理解することが好きですね。分からずにいるよりも、分かってしまったらスッキリした気持ちになれるからかもしれません。
理解とは単純なことのように捉えられがちです。それは、分かるか分からないかのどちらかだろうと思えるからですが、実は理解には深さというものがあるのです。
何故そんなことがあり得るのかというと、人のマインドが一枚岩でできてないからです。表面的に理解したつもりであっても、マインドのもっと奥では理解していないということが起きるのです。
そして、理解できるかできないかという観点から見ると、難解なものほど理解が難しくなるのは当り前なのですが、客観的にみてたとえ難しくなくても、理解しづらいということもあるのです。
それは、純粋な理解ということよりも、認めにくさという要素が入ってくるからです。本人が認めたくないと感じることは、たとえそれが安易なことであろうと理解はしづらくなってしまうのです。
セッションにおいて、クライアントさんにお伝えするようなことは、決して複雑なことでも難しいことでもないはずなのですが、理解にはそれなりの時間が必要となることが多いのです。
一度分かったつもりになっていたことでも、繰り返しそれを聞いたときに、それまでの理解が浅かったと実感できるなら、その時には理解がより深まったということなのでしょう。
私自身、最近 osho の本を読んでいて、理解していなかったと思うことはほとんどないのですが、理解が深くなったと実感することが増えました。
理解が腹の底まで伝わったという感覚ですね。同じ内容でも何度でも味わうことで、その理解がマインド全体へと広がることがあるということですね。