いわゆる宗教と呼ばれるものの中には、徳を積むとか、人格を磨くとかってことがさも重要なことであるかのようにして、人を惑わすものが沢山あります。
人は不安で生きているので、彼らの教えることが正しくて、信じてしまえば救われるとつい思い込んで、その教えとやらをひたすら実践するわけです。
ところが、徳を積んで自分はどうなりたいのかということを突き詰めれば、あの世に行ったときに優遇されたいとか、安心して天国に行けるようにだったりするのです。
それがエゴの自己防衛だと気づかないから、教えを守るために家財なども投げ打って、悲惨な人生へと転落してしまうこともあるのかもしれません。
人格を磨いても、どうなるものでもないのです。そもそも、人格とは分裂して病んだマインドを基盤として成長した醜悪なものに過ぎないのです。
私たちは、自分の思うままにさせてよ!と言う無邪気さを持って生まれてきます。ところが、お前のままではダメだ、とてもそのままではこの世界では生きてはいけないと教え込まれるのです。
その結果、こうあるべきだという部分と、自分のままでいたいという部分の二つに分裂してしまうのですが、それこそがマインドの正体なのです。
つまり誰のマインドであれ、大なり小なりそれは精神分裂を起こしているのです。それをマインドと呼ぶのです。マインドとは、正常に病んでいるか、異常に病んでいるかの違いしかありません。
それを積み重ねて作り上げたものこそが人格なのですから、それをいくら磨いたところで分裂が更に激しくなるくらいがおちなのです。
大切なことは、なるべくあなたのオリジナルのままでいさせてあげるということ。そこにいいも悪いもありません。それが自然に逆らわずに生きる極意なのですね。