何者でもないという気づき

自分とは何者なんだろうと思った時、目に見える肉体以外の部分はそのほとんどが思い込みの塊でできているということが分かります。

その思い込みの基本的な部分は、幼い時に作り込まれます。その代表となるものは、他のみんなと同じように、一人の人間としての自分がいるという思い込み。

それをベースとしてあらゆる経験をしてきた自分がいるという思い込みで、うず高く積み上げられてでっちあげられたのが自分なのです。

いいイメージであれ悪いイメージであれ、そのようにして作り上げられたのが自己イメージなのです。私たちは、その自己イメージを深く信じてしまったのです。

それを真実、あるいは事実としてみているために、そこから抜け出すことができなくなったのです。自分のままではダメだと信じて、もっともっととなるのです。

その間違った闘いから脱するためには、まず自分は思い込みの世界で生きているということに気づくことです。

知っていると思っていることは、そう信じ込んでいるだけだということに気づくことです。たとえば、地球は丸いということを知っていると思っていますね。

けれども本当は、地球は丸いという情報があるということを知っているというだけなのです。その情報を単に信じているに過ぎないのです。

この違いを見抜くことです。誰であれ自分の年齢を知っているのですが、実は自分は何歳だということをただ信じているだけなのです。

それは、幼い頃にあなたは何歳だよと言われたことから始まったのですから。その情報を信じたことで、そこから知っているという状態が継続して今日に至っただけなのです。

すべては思い込みなのです。それを信じているだけで、本当は何も知らないということ、その気づきを日々の生活の中に浸透させていくのです。

そうやって少しずつですが、とんでもない不愉快な自己イメージから脱出することができるようになるのです。いつかは、自分は何者でもないというところに戻ることになるのでしょうね。