明日への期待を断つ

私たちは絶えず不足を感じていて、何かやり残したことがあり、今日行けなかったところがあり、そう言ったものを明日への期待として持つのです。

身体の具合が悪くなると、それが治ってくれる未来のことを思うし、今は能力不足で思うように出来なかったことがあれば、成長してできるようになる自分を夢見るのです。

誰かと仲たがいして落ち込めば、仲直りすることを考えるし、テストで失敗すれば次回はもっと頑張ろうと思うのです。

要するに、何らかの不満があればすぐに未来へと想いを馳せるのです。そして実は、今は満足できていたとしても、明日は大丈夫かと未来を心配したりもするのです。

そうやっていつもいつも、必ず今この瞬間にい続けることを拒否しているのです。未来に望みをかけながら生きているということです。

私はこのことに気づくとき、つくづく思考に乗っ取られているんだなと分かります。明日に期待するというときには、思考が常にあるからです。

この癖は相当しぶといもので、思い返せばもう幼少の頃にはある程度身についていたのかもしれません。だから簡単にはやめられないのです。

明日はないものと思って生きなさいという人もいますが、私はそういう自分への思い込ませ的なことは嫌いなのです。

だからもっとシンプルに、ただ今の自分を見つめているだけにしています。それができている間は、思考から離れていられるからです。

未来というのは思考の中の作り物だと分かった時、何か先がなくなって行き場を失ったようで息苦しく感じるなら、それがエゴの正直な反応なのでしょうね。

未来が消えれば、エゴも同時に消えるしかないのですから。