役に立ちたい症候群 再び

もしもあなたが何かの役に立ちたい、誰かの役に立ちたいと思っているとしたら、気づいて欲しいことがあります。

それは、純粋な愛であればあるほど、そんな思いを持つことはないということ。端的に言って、愛は役に立ちたいと思うことなどないということ。

勿論愛が誰かの役に立つ可能性はあるのですが、本人がそう言った思いを持っているということがないということです。

納得いかないという声が聞こえてきそうですが、本当のことです。なぜかというと、役に立ちたいという思いの根っこには、しっかりと役に立つ自分がいるからです。

役に立つ自分でありたいというのが本当の気持ちと分かれば、なるほどと分かってもらえるのではないでしょうか?

役に立っている自分であれば、自分の存在価値は保証されるし、人からの評価は高くなるでしょうし、つまり必要とされる人物でいられるという安心感。

それが欲しいだけなのだと分かればいいのです。何もそのことが悪いということではありません。ただ愛とか好意からではないということ。

親は愛する子供のために役に立ちたいなどとは思わないものです。自分が役に立つかどうかということには、まったく関心がないはずですね。

いつもブログで書いているように、どんな思いであれその裏に自分に対する関心があるなら、それは愛ではなく防衛だということです。