自然の中には誰もいない

一人ひとりの人物が、自律的に生きてこの社会を作り上げているという感覚が、私たちの共通の認識となっていますね。

その思いがとても強すぎて、疑うことなど到底ない状態なのです。当の本人とか、張本人などという言葉があるように、一人ひとりが行為者なのです。

行為者であり該当者であり、はたまた経験者であるように言われて、それが当たり前になってしまっているのです。

だからこれを覆そうとするなら、大変な意識革命を必要となるのもうなずけます。仏陀が言ったように、「行為はあるが行為者はいない」と言われたところで、まったくピンとこないのです。

行為者どころか、経験者もいないし、ようするに誰もいないのです。あたかも、一人ひとりが自発的に、意思を持って自由に行動しているかのような錯覚。

誰もいないのに、なぜ社会が成り立っているのかと不思議に感じるかもしれませんが、そこに個別性がないだけで、全体性の一部としてあるということ。

動物や植物を見れば分かるように、それぞれが勝手に生きて勝手に動き回っているかのように見えるのですが、それもすべてが全体性の一部だということ。

私もあなたもみんながそうなのです。あなたと誰かが喧嘩をしようと、愛し合おうと、そこにはどんな違いもないということですね。

それなら、なるべく気楽に生きればいいじゃない!ってことになりますね。