自分とは一体何なのだろうか?ということを自分自身に問う時、始めにやることは余分なものをはずしていくということです。
知覚や記憶を使って判断する自分も脇へ置いてしまうと、一体後に何が残るでしょうか?そうしたことを問い詰めていくと、きっと意識だけが残るのです。
実際に試して貰えば分かることですが、意識だけは他のどんな要素も必要とせずに、ただ在るのです。それを超えていくことはできません。
意識というのは、ただ気づいていることを指します。ただ在るということに気づいている、これこそが自分の一番根っこにあるものです。
それ以外のものは、すべて表面的であって顕れたり消えたりするのです。このただ在ることに気づいていることは、万人に共通しています。
そしてこの共通しているというのが実は胡散臭いところで、それは思考が類推していることに違いありません。
けれども思考を排除したときの実体験としては、意識が個別に在るということではありませんでした。意識をどのようにしても、個別化することは不可能なのです。
ということは、ただ在るということの気づきは、誰もが共通に持っている何かではなくて、それこそが全体性だということです。
一つものなのですね。だから私の意識とかあなたの意識などという表現がすでに間違っているということです。
意識こそが全体性であり、それを私たちがシェアしているのではなく、その反対に意識が私たちを通して、この現象界を形作っているということです。
あなたの最奥にあるものは、私のそれと一つものなのです。