街や公園などで見かける鳥は、つがいでいることが多いですね。鳥の種類には詳しくないのですが、二羽で佇んでいる姿を見ると、何となくですが微笑ましい感じがします。
仲が良いように見えるからかもしれません。人間でも同じことが言えます。仲の良さそうなカップルを見ると、なんだか暖かな気持ちになります。
ただそれだけで充分なのに、なぜか人間だけが結婚という特別な制度の中にいるのです。ただ仲良し同士ではダメで、適齢期などというものとの兼ね合いで、いずれは結婚という形がちらつくのです。
結婚という制度を成し遂げると、どういうわけか一安心するのですが、制度の中に身を置くようになることで、先ほどの鳥のつがいのような自由さは失われていくのです。
結婚制度は一種の契約であるために、一番大切な自由を安心との引き換えに奪われてしまうのですが、そのことを本気で考える人はあまりいないかもしれません。
この社会を円滑に機能させるためには、人間同士の契約というものが絶対的に必要になるのはもっともなことですね。
お金の貸し借りや、さまざまなルールを守るためにも、契約形態というものが必要なのです。けれども人の心や気持ちに対して、契約を充当させるのは非常に不合理なのです。
好きとか嫌いという気持ちは、理性や意志の力でどうなるものでもないのですから。そこでどんな約束事をしたとしても、所詮は守れるものではありません。
だから結婚制度は死を意味するのです。片方がもうこの人とは一緒にいたくないと思っても、一度契約した以上は、責任を全うしなければならないというわけです。
こんな制度のなかにあっては、誰も本当には満たされるはずもありません。自分の自由を尊重できる人は、相手の自由をも尊重するはずなのです。
もしも相手の気持ちが自分から離れてしまったとしたら、潔くそれを受け入れることです。誰もが内側の痛みから逃げずにそれを肥やしにするようになれば、結婚制度は自然と滅びていくのでしょうね。