内側が完全に中空になった一本の竹
休むときに
自分が一本の竹であるかのように感じてみてごらん
内側の完全に空っぽになった竹だ
これは事実そうなのだよ
あなたのからだはちょうど竹みたいなものだ
そしてその内側は中空だ
皮膚
骨
血液
みな竹の一部だ
しかし内側には中空の空間がある
by osho
私たちの多くは、自分は身体の内側にいると漠然と感じています。身体の外側から自分の身体を客観視したことがないからです。
そのくせ、身体の中のどこに自分がいるのかを言える人もいません。そして実際どれほど詳細に身体を切り刻んだとしても、どこにも自分を見つけることはできないのです。
見つけられないのは、どこにも自分などいないからです。仮に見つけたとしても、どんな姿をしているのか想像できるでしょうか?
できるはずもありませんね。なぜなら、自分の姿は自分の身体だと思い込んでしまっているからです。
つまりこれが自分だという核となるようなどんなものも身体の内側に見出すことはできないのです。
↑上で身体の内側は中空だと言っているのは、そういうことかもしれません。自分という存在がどこかにいるはずだという根強い感覚があるだけです。
私たちの本質に対して、「それは何か?」とか「どこか?」と言った問いは的を射てないということです。
ここから先は、思考でイマジネーションを作らない方がいいです。分からないものはそのままにしておくのです。
ただし、中空の竹のようなものであるということは、忘れないようにしたいものですね。