英語には、ハート(heart)とマインド(mind)という明確に異なる二つのワードがあるのに、日本語ではそのどちらも「心」という一つのことばで表現してしまいます。
一般的に言って、英語よりも日本語の方がよりきめ細かな表現をするはずなのに、心という単語に関しては何だか雑ですね。
というのも、私にとってはハートとマインドというのは似て非なるものだからです。似ているというのは、どちらも内面を表す言葉だという点だけ。
ただしマインドというのは多くの動物の中で、人間にだけ与えられた特別なものであるとも言えますね。
人間だけが高度な思考を操って、人生という物語の中を生きるのですから。その思考の塊、自我の棲家となっているものこそがマインドなのです。
一方のハートというのは人間だけでなくすべての動物に備わったものだと言えます。ハートは根源的なものという感じがします。
もしかしたら、古代の日本人というのはハートが物凄く開いていて、現代人のようにはマインドが発達していなかったのかもしれないですね。
だからマインドに該当する言葉が作られなかったのでは?その後時代の変化とともにマインドが優位になって行き、それまでハートを意味する「心」で代用してしまったということなのかもしれません。
だとしたら、いにしえの日本人の生き方を思い出して、真実と共にいられるハートが全開で生きられるようにしたいものですね。