私たちの体験には二種類あるのですが、一つは物語の中での体験であり、もう一つは物語のないありのままの体験です。
その二つは別々に体験されるわけではなく、いつも同時に起きているのです。つまり体験は本当は一つしかないのです。
ただし、物語の住人である自我が体験したと感じれば、その体験は前者のものとなり、一時的であれ自我がない状態であれば後者の体験となるのです。
前者は私がその体験をしたと思い込み、後者はただそこに体験があると認識するということです。
前者の場合は、物語の方に注意が向いてしまっているために、意識的であることが難しいのです。
その一方で後者の場合には、十分に意識的あることができます。というよりも、意識的である限りは後者のケース、つまりただ体験があるということに気づいているのです。
たとえば毎朝あなたが瞑想している状態を想定してください。そのときに、1日の始まりにきちんと瞑想しているという捉え方をしているなら、それは物語の中での瞑想体験なのです。
それに対して、朝だろうが自分の部屋だろうが、そういったシチュエーションから切り離されたときには、あるがままの瞑想体験となるのですね。