こうしたすべてを自分がやっていると思うのは自由だ。が、そうしたらあなたは無知の中で生きることになる。
もし、<全体>がすべてをなしていること、自分は<全体>に支配され、それによって息を吹き込まれていること。
生全体がそこから来ることに気づいたら、そのとき、あなたは悟りの生を生きる。
by osho
↑これを読んですぐに思い当たるのが、人間には自由意志はないということです。自由意志があると思うのは自由です。
けれども、自分が自分の人生の支配者だと思うのは、無知の中で生きることだと言っているのです。
あなたが決意したと思う時、実は<全体>から脳に対して決意信号がやってくるということです。
その信号を受け取ったときに、決意したと感じるわけです。その時差が0.4秒程度だということは以前ブログに書きました。
その0.4秒は私が思うに、自我が消費している時間なのだろうと。それゆえ、自我が落ちてしまった後は、きっと言動として表現されるのが早くなるのです。
たとえば、武道の達人と呼ばれるような人は、そうでない人と戦うときに0.4秒程度早く動作できるので、負けることがないのです。
0.4秒というのは短い時間ではあるのですが、勝負事やスポーツの試合などでは決定的なものとなるのです。
人よりも0.4秒前の時間を生きたいのなら、自我を落とすしかありませんけれども、そういう欲望がある限りは自我は落ちることはないでしょうね。