寄り集まった思考
何百万という思考の群があなたに
あたかも<心>というものが存在しているかのような幻覚を与える
それはちょうど<群衆>のようなものなのだ
何百万という人たちが群れ集まって立っている
だが、いったい<群衆>などというものはあるのだろうか?
by osho
↑上で言う<心>というのは、このブログではマインドと呼ぶようにしていますので、心という曖昧な言葉を使う代わりにマインドという言葉を使って下さい。
その上で、ここではマインドというモノがあるわけではないということに気づきなさいと言っているのです。
思考が複雑にもつれ合って、塊のようになっているだけなのですね。その思考群こそがマインドであり、これが自分だという感覚を与えているのです。
思考が寄り集まる理由は単純です。一つの思考があると、それと波動が似ている思考を引き寄せる性質があるのです。
そうやってできた思考の塊は、この世界広く浮遊している他の思考の中から似ている波動を持った思考を更に引っ張り込んで、それ自体がより大きなものへと成長するのです。
群衆を遠くから眺めれば、あたかも一つのまとまったまるでアメーバーのような対象として見ることもできるかもしれません。
それと同様に、マインドを遠くから見ることであたかもそれ自体が存在していると錯覚してしまうのです。
けれども、マインドを注意深く至近距離から見守るなら、一つひとつの思考がばらけて行ってしまいには消えていくのです。
自分のマインドに意識を向け続けていられるなら、自分はマインドなどではないということに自ずと気づくことになるのでしょうね。