誰であれ、「考える」ことと「感じる」ことが違うということくらいは分かっています。「考える」とは、思考するということ。
では「思う」というのはどうでしょう?勿論「思う」というのも思考するということです。なにかを思うときには、大抵は言葉がついてくるからです。
それに比べて、「感じる」というのは思考とは違うものです。思考がマインド(頭)のものだとすれば、「感じる」感覚はハートのものです。
ところが、「感じる」ときにも、自動的に思考が一緒にくっついてくるのです。つまり、ハートの領分までマインドがしゃしゃり出てくるということです。
あのバラはなんて美しいんだろう!と言葉に出した途端に思考が動いているということです。ただ無言で感じるままにいるということができないのです。
そのくらい、毎日の生活の中に思考が組み込まれてしまっているのです。ただし、思考そのものに良いも悪いもありません。
問題となるのは、思考に飲み込まれてしまうこと。思考していることに気づかずにいること。自我は、思考を防衛の手段として使うのです。
1時間に1回でもいいので、思考しているということに気づく練習をすることです。そうして、思考を見ていられるように訓練するのです。
結果としてハートが開き、自分の本質への気づきも起きてくるのでしょうね。