小学3年生の頃、詳細は忘れましたが友達と3人でふざけていて先生に叱られて、教室の後ろに3人並んで立たされたことがありました。
その日の授業が全て終わっても先生からは帰ってよしの言葉がなかったので、3人はずっと立っていたのです。
先生は教壇で何か自分の仕事をしていて、一向にこちらに声をかけてくれる気配がなかったのです。
日も沈んで外が暗くなってきた頃、自分以外の2人が「謝っちゃおうぜ!」と言ってきたので、最初は意味がわからなかったのですが、自分一人置き去りになるのが怖くて、一緒に先生のところに行ってごめんなさい!をしたのです。
その時の先生の嬉しそうな顔がいかにも軽薄そうで、今でも忘れられません。自分のやり方で、やんちゃな男の子たちを改心させることができたとでも思ったのでしょうね。
自分はそれがとても不気味に感じたのです。そもそも謝りに行ったら帰してもらえるなんて、そんな発想がなかったのでそれも気持ち悪かったのです。
友達2人と先生はそんな契約をしていたのかなと疑ってしまうくらい、変な体験でした。
しかも、自分はこれっぽっちも反省などしておらず、そもそもそれほど悪いことをしたつもりもなかったので、立たせておきたいのなら立っててやろうじゃないかみたいな気持ちだったと思います。
しつけと称して自分の正しさを子供に押し付けて、屈服させてニンマリしている大人なんて、これっぽっちも尊敬などできるわけがありません。
そんなこんなで、大人というのは全く尊敬できるような存在ではないと思ってしまったようです。
こんな感じの小3の男の子が自分の中にしっかり今もいて、訳のわからない理屈を主張したり、正しさを押し付けてきたりする大人を軽蔑し続けています。
それが発動すると、自分こそもう大分いい年齢になってしまっているというのに、相変わらず大人は頭が悪いという気持ちでいっぱいになるのです。
自分の中に棲んでいる様々な過去の自分が活躍していると感じる時、なんだか面白いなと思ってしまうのは私だけでしょうか?