達成ではなく見抜くということ

この生には目的などないのです。どんな意義も意味も価値も何もないのです。百歩譲って何か目的があるとするなら、自分はすでに救われていると見抜くこと。

あなたを救えるのはあなた以外にはいないのです。世界中のみんなが寄ってたかって、どれほど努力したところであなたを真に救うことはできません。

気休めならもらえるし、気晴らしも与えてもらえるでしょうね。一時の安心もくれるかもしれません。でもそんなものであなたの人生が救われるわけがないのです。

なぜ他の誰かにあなたを救うことができないのかというと、それは気づくということ。見抜くということだから。

あなたがもうすでに救われていると見抜くこと。何かを達成するという問題ではなく、見抜くという問題なのです。

だからこそあなた本人にしかそれをなすことができないということです。救われている理由は、あなたの本質は何一つ傷つくことができないし、生まれたり消えたりもできないのです。

あなたが自分を自我(エゴ)と同一視したことで、あなたはひどく傷ついたと思い込んでいるのですが、それは思考による幻想です。

ただ自分の本質に気づくこと、自我は一時の仮面に過ぎなかったと気づけば、自動的に元々救われていると気づくことになるのですね。