自分の本質に気付く以外手はない

どうしたらより幸せになれるかとか、どのように考えたら人生がより良いものになるのか、これを知りたくない人はいないはずです。

望むものや人が手に入ったらそうなると思っている人もいるでしょうし、人生を達観することができたら満ち足りると思っている人もいます。

こうした事に対する私の個人的な意見なのですが、端的に言って自分の本質に気づいていくということに尽きると思っています。

この社会でどれほど活躍しようと、何を手に入れようと、どれほど恵まれた環境で生活しようと、自我の満足は続かないのです。

自分のことを自我だと思い込んでいる限り、多少の浮き沈みはあるかもしれませんが、本質的には何も変わらないのです。

じゃあ覚醒するしか手はないのかというと、それほど極端なことを考える必要はありません。

ただ自分の本質は自我ではないと気づいていくこと。日々の生活はこれまで通り自我の自分が生きていくでしょう。

それでも、それを見守る本当の自己があるという気づきがあれば、世の中の見え方が変わってくるのです。

この自分は誰でもなかったと分かれば、自我の自分が何かをしでかしたとしても、それほど動揺せずに済むようになるのです。

仮に動揺したとしても長くは続かなくなってくるのです。自我として生きている自分を見守る練習を是非少しずつしていって下さい。

どうしても自分のことを責めてしまう自我、自分を大切に思えない自我、全く価値がないと感じる自我、それらをそのままに見守る練習をすることですね。

変化はゆっくりとですが、確実にやってきます。1年後、5年後には違った景色を見ることができるようになるはずです。