私たちは自分がどのように成長して今の自分になったのかを考えるとき、きっと多くの人がまず初めに自分が生まれたところからスタートするはずですね。
けれどもそれは間違いなのです。肉体が生まれた時には、まだ自分はいませんでした。それは確実です。
その後もしばらくは自分なんていないのです。誰もがまず真っ新な自分がいて、そこに親からの教えなどが注ぎ込まれると感じているのです。
何度も言いますが、どこにも自分などいなかったのです。何もない空白は、真っ新な自分とは言えません。だって自分はそこにはいないのですから。
全く何もないところに、つまり肉体だけがあるところに周囲からあらゆる思考や感情のエネルギーがやってきて、それが張りぼてのように重なっていくのです。
張りぼての中心に自分がいたわけではないのです。その後ゆっくりと作られていく自分とは、まさにその張りぼてそのものなのです。
ここのところを多くの人が誤解しているのです。うまく表現できているかどうか分かりませんが、実際分かりづらいところですね。
その張りぼてが自己イメージなのですが、その自己イメージを参照しつつ、また親の自我を真似しつつ、自分という自我が形成されていくのです。
私という自我が作られていった時には、もうすでに張りぼてによる自己イメージもできているのです。そのくらい、一番初期の自己イメージは絶対的なものです。
今日の内容は、うまくお伝えできているか微妙なのですが、要するにあなたをどれほど剥いていったところで、その中心に「自分」というものはないということですね。
結果、残念ながら私たちが自分の拠り所にしている魂なんてものもないということになりますね。