「一生懸命」は時に危険

「一生懸命」と言う言葉が好きな人がいますね。十二分にその気持ちは分かります。このままじゃダメだと思うからこそ、必死にそこから抜け出ようとするのです。

その時に一生懸命でなければ、抜け出ることができないと思うのでしょうね。だから一生懸命という言葉に人生をかけるのです。

けれども、何に対しても一生懸命というのはともすると危険な匂いがしてきます。たとえば、自己防衛に一生懸命になってしまったら、人生は破壊されてしまいます。

いつも言っているように、自己防衛を全力でやり続けたなら、その力の大きさに比例しただけの自己犠牲が蓄積されてしまうからです。

私自身も一生懸命を嫌っているわけではありません。要するに、一生懸命の原動力が問題だと言っているのです。

不安や恐怖から逃れて、安心したいという一心で一生懸命に自己防衛に励むなら、答えは一つ、地獄が待っているということです。

一生懸命に生きるということを拠り所にする代わりに、自己防衛を減らしていくことに人生をかける方がよほどいいのです。

なぜなら、その先には光が見えてくるからです。自分の奥深くに押し殺して隠している無邪気さを見つける道が見えるからですね。