自我は過去と未来にいる

短期記憶がほぼ機能しなくなってしまった高齢の母親を見ていると、いろいろなことに気付かされます。

短期記憶が正常に機能しないということは、毎日の日常の経験をほとんど忘れてしまうということです。

今日食事をしたことも、デイサービスに行くことも、誰かと会ったことも、みんな忘れてしまうのです。

けれども、自我として生きていくことはできるのですね。なぜなら、自我は元々今現在にはいられないからです。

自我の生きる場所は、過去か未来だからです。短期記憶はなくても長期の記憶は不鮮明ながらあるのです。

だから、例えば私が子供の頃に家族みんなで潮干狩りに出掛けて、思いの外たくさんアサリが取れたことなどを覚えているのです。

そんな60年近く過去の出来事を覚えていて、1分前のことは忘れてしまうのですから、少し理不尽な感じがしますね。

思い出に浸ったり、未来に思いを馳せると表現すれば、悪いことではない感じがしますが、過去をクヨクヨ思い返したり未来を不安に思うのとそれ程違いはないのです。

こうしたことは自我の得意技なのです。逆にもしも過去を落とし未来を持ち込まないでいられるなら、自我を使わずにいることになるのですね。