生きたブッダの言葉は知り得ない

小学生の頃から、何となくですが宗教というものに関心があったような感じがしています。何も知らないのに不思議です。

信者になりたいということではなくて、一体どんな魅力的なことが経典などに書いてあるのだろうかが気になっていたのだろうと。

ところが、その一方では宗教的な教えの中心とも言える、人は◯◯でなければいけないとか、人とはこうあるべき、のようなルール的なものには興味がないのです。

それは今でも変わりません。人を正しさで縛るような教えは全くもって苦手なのです。このような自分なので、すぐにピンときたのがoshoだったのでしょうね。

oshoの生きた言葉をそのまま知ることができた自分は何と幸運なのだろうと思う反面、ブッダの言葉は永久に知ることができない。

もしもブッダが生きていたら、一体どんなことを教えてくれるのか?偉い学者さんたちでさえ、それを知ることはできません。

きっとこうであっただろうという予測でしかないのです。ただ、私が思うにブッダは決してルール的なことに触れたことはなかったのではないかと思うのです。

ブッダは仏教の開祖ということにはなっていますが、現在世界中に広まっている仏教の内容をブッダが知ったら、それはもう驚くでしょうね。

私はそんな宗教のことなど知らないと。それはきっと、イエスキリストが現在のキリスト教のことを知ったとしても、同じ反応をするのだろうなと。

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