私たち人間には、常に望むことと望まないことがあり、そのどちらであるかを判別しながら生活しているのです。
望むように物事が起きれば嬉しいし、そうでなければ辛かったり悔しかったりを経験するわけです。
けれども、もしかすると本当は望んだ結果が今やってきているのではないかと考えることができます。
望んで夢にまで見て、やっと地球ランドへやってこれた。もうこれだけで望みは叶ったのですが、そのことを完全に忘れていると。
今私たちが経験している全てが、望みが叶った結果なのですから、その上で望むことと望まないことを判別しているのは愚の骨頂。
願い事が叶った状態で、毎朝目を覚まして1日を迎えるのです。それを楽しまない手はありません。
ところがどっこい、日々の物語の中に埋没してしまっていると、こうしたことに気付けなくなってしまうのですね。
私たちが本当に望んだのは、どんな物語を体験するかというよりも、この地球であらゆることをあるがままに感じることではないかなと。
悲喜こもごもの出来事がやってくるのは、こうしたことを証明しているような気がします。明日もそれを確認しながら、ゆっくりやっていきましょう。
最近よく考えることなんですが、
流れ?として最初みんな一緒の全体性にいたのに自分で地球ランドでいろんな経験をしたいと望んでやってきて、本当の意味で満足したらまた元いた全体性に帰り2度と戻ってくる事はないって感じなんでしょうか?
細かいことはともかくとして、誰かに指図されたり強制されてやってきたわけではなく、あくまでも自分が望んで今ここにいるということを忘れないということかも知れませんね。