神の存在って曖昧なものですね。誰もそれを証明することもできないのですから。それ以外にも、多くのものはこの世界では曖昧です。
例えば、過去生や未来世があるのかどうか、魂の存在も含めて本当のところ誰もそれを証明することができないのです。
けれども、たった一つ明確になっていることがあるのですが、それは死の存在です。死だけは、他のどんなこととも違って確実にやってきます。
証明の必要すらありません。それなのに、私たちは曖昧であやふやなことにはエネルギーを使うのですが、死を正面から見ようとしません。
毎日の生活の中で、自分の死について考えることがある人がどれほどいるでしょうか?若い人であればほぼいないと言ってもいいはずです。
もちろん年齢を重ねてくれば、それなりに迫ってきたものから目を逸らすのも難しいので、少しずつ死を迎えることを考えるようになるのです。
ただし、本当のところ私たちの誰もが年齢には関係なく、一寸先に死がやってこないとは言い切れないのです。
だから死を疎ましいこととして捉えるのをやめて、ある種肯定的に捉えることができるように準備しておくのは悪いことではありません。
夢がある人もない人も、目標がある人もない人も、どちらにせよ予期できない死と共に今日を生きるなら、バカバカしいことから離れてコクのある生を体験できるのかも知れませんね。
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