自我とは点だった

2600年前にブッダが説いた「縁起」というのは、あらゆるものが互いに繋がっていて、いかなるものも単独では存在し得ないということ。

逆に言えば、あらゆる関係性だけが存在して、その両端にあるものは存在しないということ。それは概念でしかない。

例えば、線と線が交わる場所を点と言いますが、つまり位置を表す点というのはそういう意味では存在するのですが、点そのものは存在しませんね。

点というのはあくまでも概念でしかないということです。あるいは、次のように表現することもできます。

私とAさんは友人関係であり、私とBさんも友人関係であると、AさんとBさんは私を交点として繋がっているのです。

互いに知らないとしてもです。その交点が私であるとするなら、交点という点である私は概念としてしか存在しないことになります。

私という自我はそんなものなのですね。つまり、私という自我は存在しないし、縁起という関係性を形作る概念としての点だったということです。

それを「無」というのか、「空」というのかは知りませんが、点は点としての役割があるということですね。

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