体験だけがある

ちょうど一週間前に、小さな気づきがやってきてこれまでの探求を辞めざるを得なくなったのですが、それでもまだ釈然とはしていなかったのです。

だから違う探求がまだ続くなと思っていた矢先、昨夜のことですが、もうそろそろ寝ようかという時に、また気づきがやってきたのです。

前回の気づきを補足して、もっともっと明確にしてくれるようなものでした。それは、結果だけ言うと「体験だけがある」というものです。

そこに至るまでには、少し紆余曲折はあったのですが、そこは全部端折ると最後に残ったのが「体験だけがある」でした。

この気づきのおかげで、ものはない、自分はいないということがより鮮明になった気がして、そこはちょっと嬉しい。

謎だらけだなあと思っていたのですが、その原因は自分の存在だったのです。自分がいると思いたいがために、あらゆることがおかしくなってしまっていたのです。

非二元の本当の意味は、行為をしている誰かもいないし、行為そのものもない。あるのは、ただその行為の体験だけということ。

体験という言葉を使うと、誰の体験?というのがすぐにやってきてしまうので、本当はこの言葉を使わないほうがいいことは分かっているのです。

けれども、私自身にとって一番わかりやすい言葉がこれだったのです。紆余曲折の部分を本当は書きたいのですが、ここでは長くなってしまうので割愛しました。

また機会があれば、お伝えしたいなと思っています。

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こちらの動画も是非ご視聴ください。

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