「幸せ」の勘違い

誰もがより幸せになりたいと願っているはずなのですが、その肝心の幸せが何なのかが本当はよく分かっていないのではないかと。

それが分からないままに、それを目指してもうまく行かないのは当然かもしれません。一度、具体的に「自分にとっての幸せ」を定義してみるといいかもしれません。

たとえば、不安が消えて安心することが幸せあるいは幸せに繋がる気がするという人は多いかもしれませんね。

けれども、どんな安心であれそれが一過性のものであるなら、今度はいつ不安がやってくるかと思って不安になってしまうのです。

そして、永遠に続く安心というのもあり得ないのです。となると、安心を求めたところで幸せにはならないと分かります。

あるいは願いが叶ったら幸せになれるというのもあります。お金持ちになったら、好きな人と結ばれたら、勝負に勝ったら、自分の価値が上がったら等々。

けれども、これらも叶ってしまうとしばらくはいいのですが、すぐに次の願いごとがやってくるのでキリがありません。

人間はもうこれで十分だというふうにはなれないのです。すぐにまた別の何かが欲しくなってしまうのですね。

こうして見てみると、なんだか幸せという名の幻を求めて生きている感じがしてきませんか?じつはそうなんです。

幸せを求めることをやめた時に、初めて心底の自由と本当の安堵がやってくるのではないかと思うのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です