この仕事をするようになって、自我という虚構がどのようにして作り上げられたのかにとても興味を持つようになったのですね。
私の勝手な想像でしかないのですが、乳幼児の時代からずっと、自我として生活している親などの存在を真似ることで、無自覚のまま次第に自我を作り上げるのだろうなと。
わかりやすく言えば、自我というのは他の自我の目線で自分自身を見ているのです。他人の視点を用いて、自分を見ているということ。
あるいは、他人はその身体の中に本人がいるように見えているために、自分もその身体の中にいるように妄想するわけです。
そしてこうした思い込みが強い信念となって、それを疑うことなく生活するようになってしまうということです。
自分以外の誰か(の自我)がなければ、自分という自我も決してでっち上げることはできなかったということです。
身体の中に自分がいるという思い込みがなくなることってあるのでしょうか?不可能ではないかもしれませんが、相当に難しいことでしょうね。
そうした強い思い込み、信念から解放されたくてずっと瞑想を続けてきたのですが、今度は自我どころか身体も外側にあるはずの世界も、その全てに実体がなかったとなって…。
何もかもお手上げ状態で生きていくしかない。そうして本当に諦め尽くした時に、何かがフッと明確になるのかもしれませんね。