主観も客観もない

事実というのは、今すでにある「これ」のことです。イメージによって仮想的に作られた空想の世界とは違うものです。

そして事実には、主観的事実というものがあります。私にとっての事実であって、他人にとっては定かではないようなもの。

宗教というのは、この主観的事実に基づいているということが言えると思います。またその逆に客観的事実というのもありますね。

要するに、普遍的で誰にとっても共通する事実のことです。科学というのは、当然の事これをベースに成立するものです。

ただし、よくよく見てみると客観的事実というのは個人にとっては、やはりイメージなんですね。なぜなら、直接体験ではないからです。

地球は太陽の周りを回っているという事実を、私たちは直接的に体験することはできないからです。

つまり、突き詰めれば個人としての我々にとっての事実というのは、主観的な物だけになるということです。

その上で、非二元では主観も客観もどちらもありません。なぜなら、主観を持つ当事者が不在だからですね。

何だか分かりにくい話かもしれませんが、本当はすごくシンプルなんです。何もないし誰もいないので、ただあることだけがあるのですね。

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