非二元に気づくために、思考を止める必要はない

最近は瞑想をすることがなくなってしまったのですが、それでも瞑想している時のあの気持ちの良さを忘れてはいません。

私はあの気持ちよさを、「自前ドラッグ」と呼んでいます。ただ何もせずに、心静かにいるだけなのにどうして気持ちがいいのか?

それはきっと、自我から解放されるからなんだろうなと。自我の喜びというのは、どちらかというと快感のようなものだろうと。

快を求めて不快から遠ざかろうとするのが自我の生き方です。けれども、そのどちらでもない状態に置かれるのが瞑想です。

快不快という日常的な自我の世界から離れて、理由も何もないただここに在るという感覚になると、それだけで心地いいんだろうなと。

もちろん自我はそれをずっと続けられると困ってしまうので、長い間それを保つことはできません。

それはそれでいいのですが、こうしたカラクリに気づくだけで、もうすでに非二元に近づいていると思っていいと思います。

自我がいなくならなければ、非二元に気づけないのではなく、自我がいても自分に正直になってイメージをそれと認識すればいいだけ。

それだけで、非二元には気づけるはずなのです。瞑想をする必要もないし、思考を止める必要もないということですね。

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こちらの動画も是非ご視聴ください。

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