自我がないどころか人間もいなかった

非二元の気づきで一番大きかったのは、この私という自我の存在を飛び越えて、人間という存在自体が消えてしまったことです。

それまでは、さすがに人間そのものは他の動物と同様にして、一つの生命として地球上に存在するはずでした。

その上で、人間だけが自我という「私」を生み出して、私の人生、私の身体、私の経験とともに生きていると。

人生の悲喜交々の全ては、この私がいるということが大前提だったわけです。ところが、自我というのは妄想でしかないと。

自我は思考の塊であり、自らの経験全てを自分という大きなハリボテにでっちあげるのに使ってきたのだと。

そして、その自我は実在するものではなかったと見抜くことこそが、人生最大の目標なのだと思っていたのです。

そのために瞑想をして、なるべく思考を止めて自我から離れる練習をしてきたのですが、それが中途で頓挫してしまったのです。

なぜなら、自我の本当の姿を見抜く以前に、人間の存在そのものがイメージでしかなかったと気づいてしまったからです。

ようやく本気で自我の居場所がなくなったわけです。そして物理的な世界というものも同時に消失してしまいました。

それでもまだ私という自我はしぶとく残っていますけどね。というよりも、私がいるという実感だけがあるということです。

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