今日12月11日は、9年前に亡くなった父親の誕生日であり、同時に敬愛する osho の誕生日でもあるのです。
子供の頃は、自分の誕生日は何か特別な日という感じがあったのですが、この年齢になるともう本当にどうでもいい感じがします。
我々が気にしている誕生日というのは、母体から物理的に離れた日であって、この自分という自我の誕生の日ではありません。
自分の自我がこの日に生まれたと明確に分かってる人は滅多にはいないでしょうから、それを誕生日にするわけにはいかないのですね。
自我が生まれるというのを別の言葉で表現するなら、自我(自分)に目覚めるということになるでしょうね。
だとすると、私たちはもう一度目覚めるチャンスがやってくるとも言えるのです。それは、自分の本質に目覚めるということ。
これもある日突然ということにはならないのかなと最近思っています。そして、多くの人が想像しているような画期的な出来事ではないのかもしれません。
それは単に真実に気づくということであって、誰もがどこかで無意識に感じたりしているものなのかなと思うのですね。
それがもっと明確になるというだけのこと。自分という自我も作り物だし、この肉体、この世界すら実在しないということ。
そのことに気づいたとて、日常の人生物語は見かけの上ではずっと続いていくのですからね。

