よく聞く言葉として、私たちは物事をあるがままに見るということはすごく難しいというのがありますね。
人それぞれがもっている色眼鏡で判断するわけですから。独自のバイアスがかかっているという表現をすることもあります。
けれども、その前に「あるがまま」という言葉には元々物事が「ある」ということが前提となっているのです。
それはそうでしょう、ないものを見ることはできないのだから、というわけです。けれども、その前提が間違っていたわけです。
世界にはないものばかりを、我々は五感を通して見聞きしてしまっているのですから。私たちは外側の世界を体験していると思い込んでいます。
ところがその世界は実在するかどうかさえ不明なのです。実際にあるのは、体験だけだということに、もうそろそろ気づいてもいいのではないでしょうか?
ここからが非二元への道へと繋がる道の始まりなのです。リアルな体験には、物語性も個人性もありません。
それがとてもじゃないけど受け入れられないし、そんなことには魅力もないと感じるのです。自我は物語の中の住人だからですね。
でもそこにのみ、苦しみがあるように感じてしまうのも事実です。リアルな直接体験へと移行するのか、それとも物語と苦しみと共に生きるのか。
その選択は個人個人に任されているのですね。

