人生が物語であるとは?の補足

昨日のブログで、人生は物語だということをお伝えしましたが、いやいや人生はれっきとした現実に違いないと反論されてもおかしくありません。

というのも、一般的に私たちが物語という時には、それは思考の中で作り出された空想の世界のものだと思っているからです。

たとえば、昨日会社に行って仕事をしたという過去を思い出したり、明日も会社に行って仕事をするだろうと未来を予想するのは確かに空想(物語)であると。

それに対して、実際に今会社に来て仕事をしているというのは、紛れもない事実であって決して頭の中で作り出した物語なんかじゃないと。

あるいは、物語というのは小説や映画の中で繰り広げられる起承転結であり、どこにもその実体は存在しないのだということ。

けれども日々の生活は誰かの頭の中で考案されたものではなく、その全ては現実に起きていることだというわけです。

こうした両者の違いは何かというと、一つは完全に頭の中で生み出されたイマジネーションであり、もう一方は実際に起きていることのように見えるのです。

ところが、非二元の探求をしていると、この実際に起きているように見えることは、全て起きているように見えるだけだということに気づいてしまうのです。

その結果、どちらも物語でしかなかったということになるのです。物語でないのは、思考がやってくる前の直接体験だけなのです。

毎日の物語性に気づけば気づくほど、物語の中には必ず個人性があることにも気づき、結果として自我をその物語と一緒に処分してしまえるのですね。

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