人間が目指す目標のなかで、ダントツで一番興味深いし格調高いし、他とは比べ物にならないくらいなのが、「覚醒する」ということだと。
そう思い込んで長い間ずっと瞑想を続けてきました。それをライフワークにしてきたと言ってもいいかもしれません。
この世界で何かを成し遂げるとか、人格を磨くとか、社会のためになるとか、そういったことにまったく興味がなかったので、その代わりだったのかもしれません。
興味がないというよりも、自分に対してそんな期待をすることができなかっただけなのかもしれないですが。
覚醒するという目標が少し具体的になったのが、非二元を極めるということで、今度はその探求をすることがライフワークとなったのです。
要するに瞑想が非二元の探求にすり替わったわけです。大きな違いはありません。それで思ったのですが、なんで自分はいつもそうした目標が必要なんだろうって。
それはもちろん自我は目的志向だからの一言で終わってしまうのですが、御多分に洩れず、自分の自我も同じだったのだなあと。
最近、何だかその探求が終わりを迎えそうな雰囲気がしていて、何やら心がざわつくのです。探求が亡くなったらどうなるの?って。
まったく目標のない人生かあって。ちょっと心細い気がしますが、それもいいのかもしれないと開き直っていますけど。

