体験のない気づきはあり得る?

情報というのは、何かの属性を知るためのデータだということができますが、この世界にはこの情報だけがあるのです。

もう少し正確に言えば、情報だけがあるということ。世界だとか、物質だとか、空間といった対象はないということ。

これが情報だけがあるということの本当の意味です。そして、この情報というのは何かを間接的に知るためのものです。

つまり分離した世界があるという前提でのみ役立つものです。なぜなら、分離がなければ情報の意味がなくなってしまうからです。

分離のない非二元では、情報は意味がなくなり、その代わりに体験、経験だけがあるということになります。

それをもっと端的に表現するなら、気づきがあるということになるわけです。気づきのない体験や経験は不可能です。

けれども、体験、経験のない気づきというのはあるのかもしれませんね。それこそが私たちの本質なのかもしれません。 

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