探究が終わるのは寂しい

一年ちょっと前から、非二元の探究をするようになって、探究というものが身近なものになったのは事実です。

ところが、そうなってみるともうずっと前から探究を続けてきたかのような錯覚をしてしまうのですね。

非二元に気づくようになる前は、ただ瞑想をすることで覚醒できたらいいなという程度だったのです。

それを思い出して、その頃は探究などという言葉では言っていなかったはずなのですね。それほど真面目に瞑想を続けていたわけでもないし。

自分で都合のいいように、過去を塗り替えていたことに気づいたのです。もう20年も探究をしてきた身なんだと。

その嘘に気づいてちょっと笑ってしまいましたね。自分が探究をしていると、他の人にも同じようにして欲しいと思うのです。

これもかなり傲慢です。同じ気持ちになって一緒にやってもらいたいという子供じみた気持ちがあるということですね。

もしかしたら、探究が終わりを迎えようとしているのかなという感覚になって、初めてそんなことに気づいたりしている今日頃です。

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