子供の頃に、この世界には生物と無生物があるのだということを習いますね。その両者の違いは歴然としています。生物とは、生命を持って生まれて、生きて、死んで行くものの総称です。
私たちはそれを植物と動物というように大別しています。そして、その動物の頂点に君臨するのが私たち人類ということになります。
一般常識的には、人間も含めて動物には意識があって、植物にはないということになっていると思いますが、意識というものを深く理解してみると、こうした捉え方が間違っていると分かります。
今現在の私なりの感覚で言えば、意識というのは生物であれ無生物であれ、この宇宙の神羅万象ありとあらゆるものの内側に在るものだということです。生きているということと、意識の有無とは無関係なのです。
私たちは朝目が覚めると意識を取り戻し、眠りに入ったり気絶すると意識を失うというふうに言いますが、それは決して正確な表現ではありません。
意識にはグレードがあるのです。それはどれだけ注意深くあるかというレベルです。そういう観点から言えば、意識を失うということは、単に注意深さのレベルが落ちた状態と思えばいいのです。
無生物の場合には、意識における注意深さのレベルが最少だということです。植物はそれよりもややレベルが上がり、動物になるともう少しまたレベルが上になるのです。
実際、私たち人間は動物の意識レベルにちょっと毛が生えた程度だと考えた方がいいかもしれません。なぜなら、ほとんどの人々は、概ね何等かの思考に巻き込まれて、注意が下がった状態で生活しているからです。
その逆に、できるだけ注意深く在ることによって、動物よりも意識レベルが上がることになるのです。瞑想は、注意深く在ることの最もよい練習になりますね。
そして、かなり深くそして繊細な注意を持ち続けていると、思考という雲が薄くなり、意識という青空が広がっていくのが分かります。そのとき、時間の流れが幻想だったとはっきり分かります。
そう、意識は時間の中にはないからです。思考という雲に邪魔されずに青空でいれるといいんですけどねえ。