人質になっていた日本人が残虐な人々によって、酷い殺され方をしてしまいましたね。何とも胸が痛くなる事件です。こういうことが起きると、安倍首相が進めている積極的な平和主義を問題視する人が出てきます。
わざわざ彼らを刺激するようなことを敢えてしなければ、こんなことにはならなかったはずだと。今後は日本人が、テロの標的になることは間違いないだろうと。
確かにそういう面があるのも事実ですが、それは自分さえ安全であればそれでいいという短絡的な発想ではないかと感じます。それは、きっと日本の現憲法のことを平和憲法と呼ぶ発想と同じです。
戦後の日本が再び戦争に巻き込まれずにこれたのは、その平和憲法があったからだと真面目に考えているのであれば、それはあまりにも幼過ぎます。
その幼さは、これまでの日本という国の幼さと同類なのでしょう。アメリカというある種の怖い父親がいたからこそ、家の中の秩序が守られていたということを見ていないのです。
その父親のコントロール下にあったおかげで、不自由はしたもののひどい怪我をせずにこれただけです。70年前にその父親が作った憲法を守っていたのでは、いつまでも日本は独り立ちできないでしょう。
その父親の力が弱体化していく中で、このままの依存した日本のままでいいわけはありません。私は個人的には、憲法をなるべく早く改正することを希望します。
とここまでは、一般市民的な立場で書きました。たまにはね。でもですね、世界平和を望むのであれば、それは我々一人ひとりの心の中が平和にならなければ実現しないのです。
なぜなら、この世界の在り様は、私たちの心の状態を反映したものでしかないからです。あなたの外側に平和を望むのなら、まずその前にあなたの心の中の闘いについてしっかり見てあげることです。
そして本当の意味で、心の闘いがなくなるとき、それはあなたの中の「私」が落ちるときです。「私」がいる限りは、葛藤と混沌が消えることはないと見抜くことですね。