すべては一つ

久しぶりに少し哲学的な話しをしますが、常日頃から「愛」とは「すべては一つ」という想念だというように言っていますね。

すべては一つという状態においては、あなたも私も区別なく一つであるということですから、英語でいう二人称とか三人称というのはありません。

常に一人称であるわけです。一人称しかないのであれば、そもそも人称などという概念そのものにも意味がなくなってしまいます。

それは、「私」という概念もないということになるのかもしれません。すべては一つなのですから、わざわざ「私」という想念を作り出す必要はないはずです。

それはさておき、自分以外の相手が存在しないのですから、知覚するということにも全く意味がなくなってしまうということになります。

つまり、自分以外の何かを認識するという状態がないわけですから、知覚することによって知る必要がありません。

その状態のことを「奇跡のコース」では知識と呼んでいます。知識は元々備わっているものですから、学習したり知覚して得る情報とは全く違います。

知識は「持っている」という言い方もできるかもしれませんが、そのもの自体で「ある」とも言えるわけです。

このように考えてみると、「すべては一つ」という想念である「愛」の世界とは、私達が暮らしているこの世界とは全く違った世界であるという事が分かります。

ということは、私達のこの世界には「愛」はないということになってしまいますね。実はそうなのです。すべてが分離しているこの世界では、本当の「愛」はありません。

でも落胆することはありません。分離しているこの世界でも、「愛」に近いものがあるのです。そして、それは私達の心次第で限りなくホンモノの「愛」に近づけていけるのです。

そうした「愛」の体験をすればするほど、その人は癒されていくはずです。それはつまり、「私」というものがない、「無私の心の状態」になるということなのです。