「奇跡のコース」の中では、本当の自分はスピリットだと言っています。私達は、そのことを忘れてしまったまま、この今の自分が本当の自分だと信じ込んでいるというのです。
しかし急にそんなことを言われても、はいそうですかと納得できるものでは勿論ありませんね。なぜなら、これが自分だと信じているからです。
ただしここで知っておくべきとても大切なことがあります。それは、私達は信じるものが正しいし、それが事実であり、それこそが本当だと思い込むということです。
ところが、一般的に私達は真実や事実というものは自分が信じることとは別のものだと思っているのです。
つまり、自分が幼い頃に地球が丸いとは信じてなかったとしても、地球が丸いという事実は変わらないということです。
自分が肉体を持った人間として生きているという事実は、別に信じているからそうなんだとは全く思っていないのです。
自分が信じる前にもうすでにそこにそうした事実が横たわっているじゃないかと思っているのです。しかし、そのことをよくよく見つめてみると、やはりしっかりと信じている心があると分かります。
意識的に信じていると自覚できるものとは、事実や真実が明確ではないものに限るのです。逆にそれが明らかだと認識しているものは信じる対象ではないと思っているということです。
だから、例えば神の存在については目で見ることができないので、信じるか信じないかという対象となるわけです。
自分が将来お金持ちになれるかどうかは明確ではないので、信じるか信じないかという範疇となるわけです。
ここが一つの盲点なのです。つまり、自分にとって明確であるものであっても実は信じているということなのです。
そして信じているからこそ、自分にとっては明確な事実や真実として受け取れるのだということです。だとすると、自分が身体を持った人間だということを信じるのをもしもやめることができたらどうなるか、興味深いとは思いませんか?