昨日のつづきです。
昨日箇条書きで書いてみた、人に対する怖れる気持ちは、ムカデのような苦手な虫にもそのまま該当するということでした。
そのほかにも、例えばゴリラとか人食いサメなども、「見下されてる感じ」を除くとそのまま該当してしまいますね。
怖そうな宇宙人なんかは、丸ごと当てはまるかもしれません。こうして見ていくと、自分と同じ人間である周りの大人に対して、幼い自分は本当に得体の知れない恐ろしい生き物でも見るように感じていたのかもしれません。
そして更に気づいたのですが、どうもその箇条書きに挙げた言葉は自分自身に対する隠された思いなのかもしれません。
なぜなら、自分が外部に見るものはすべてが自分の内面の投影であるからです。そうすると、自分は幼いころからムカデやゴリラ、サメ、恐ろしい宇宙人のように自分のことを感じていたということになってしまいます。
そう考えてみると、自分に対して本当に愛のかけらも持っていないということが分かってしまいます。実際はどうなのでしょうか?
私達の心の中にあるエゴの部分は、確かに愛を知りません。だから、自分自身のことをそのように認識しているとしても不思議なことではないのです。
そしてそれが私達が心の奥深くに隠し持っていて決して見ることのない罪悪感の正体なのかもしれません。
そんな愛のない心で自分を見つめるエゴの部分を、同じ心の部分である愛の光によって明るく照らして溶かしてしまいたいものですね。
そうしたら、周りのすべての人を本当に愛の目で見つめることができるようになると思います。それこそが真実の幸せな心になる唯一の方法なのです。