以前、コラムにも書いたことがあったと思うのですが、もう何年も前にいらした女性のクライアントさんが教えてくれた話しです。当時お付き合いしていた彼との関係がうまく行っていませんでした。
二人の関係というよりは、彼に対して様々な不満があって、それを相手にぶつけても何も解決しないという苛立ちをずっともっていたのです。
ある日、夕食を一緒にとの約束をしていた彼がいつになっても姿を見せず、結局夜遅くなって彼のご家族も巻き込んで警察に捜索願を出すというところまでいきました。
結局、彼は次の日にひょっこり現われて、喧嘩沙汰に巻き込まれて一晩留置所にいたらしいのです。ケータイも没収されて、連絡がつかなかったということです。
クライアントさんは彼が見つかるまでの間、必死に彼の無事を祈ったのは言うまでもありません。その時に、普段抱えていた彼に対する不満や愚痴は一切がどこかへ吹っ飛んでいたということです。
自分がどれだけ彼のことを愛しているかを思い知ったし、どれだけ大切な存在だと思っているのか、その気持ちにも気づくことが出来たそうなのです。
その気持ちはあまり長続きしなかったそうですが、人の気持ちというのは追い詰められると隠していた部分が表出したりするということです。
いつもは相手に求める気持ちばかりが優先してしまっていたのでしょう。そうすると、あれもしてくれない、これも分かってくれないという不満ばかりが出てきます。
しかし、相手を心配することで、本来の与えるという愛の気持ちが飛び出してきたわけです。人は自分のことより、大切な人のためには比較的簡単に愛を発動できるということです。
どちらの心の状態が自分にとっていい気持ちでいられるのか、それは考えるまでもなく明らかなことですね。与えるとはそういうことなのです。