昨日も少し触れましたが、現実が辛すぎたりしてどうにも生きていくのがしんどいので、スピリチュアルな方面へ意識を向けて目の前の現実を見ないようにするという場合があるのかもしれません。
そんなふうに表現されてしまうと、スピリチュアルな世界というのはかなりまがい物的な捉え方をされてしまう可能性が高いですね。
しかしそれはとても大きな誤解なのです。私の解釈では、スピリチュアルなものの見方というのは、この現実は自分の思い、想念を具現化したものであるということなのです。
ということは現実から目を背けてしまうのとは正反対の生き方とも言えるのです。つまり、現実を原因としてその結果が自分の人生を形作るのではなく、自分の思いそのものが原因となって、目の前の現実を起こすという考え方なのです。
したがって、目の前の現実から逃れることはできないとも言えるのです。なぜなら、それを作った大元が自分の思いであると言っているのですから、どこで何をしていても自分と現実を分けることは決してできないということなのです。
少し堅苦しい表現を使えば、どんな現実でもそれに関して全責任を自分が持っていると言ってもいいのかもしれません。
責任という言い回しがそぐわないのなら、あらゆる現実の生みの親は自分の思いであるという言い方になるかもしれません。
こうしたことは、一般常識的な考え方からすると、受け入れがたいと感じられるかもしれませんが、冷静に考えてみると心がとても楽になれる考え方であるとも言えます。
なぜなら、自分の思いが現実の生みの親であるのであれば、自分が好ましいと思える現実を自分の思い一つで実現することができるということだからです。
そしてそれは確かにその通りなのです。私達は自分の「思い」通りの現実を毎日体験しているということです。そうは思えないという場合には、自分の思いについてその全貌を認識できてないと言うことを考えてみる必要があるのではないでしょうか。